ネガティブと決別するために足掻いてきた半生を自己紹介がてら振り返ります。※深夜のテンションで10,000文字とかになったのでめっちゃお暇な方以外読まなくていいです。
目次
はじめに
私は小学3年生になるまでに
- 日本脳炎ワクチン(生後まもなく)
- インフルエンザワクチン(小学1年生)
- フッ素塗布(たしか小学3年生)
- BCGワクチン(不明)
を受けた、みなさんと同じごくごく普通の子どもでした。
すぐに下痢をするナイーブな幼少期
人生で最初に直面した困難は、幼稚園のとき。病院にかかるレベルの過敏性の下痢でした。
ちょっとの刺激(緊張感など)で腹痛を伴う下痢をするため、「お腹を冷やしやすいのだ」と解釈した母に夏場でも常に腹巻きと極厚のタイツを着用させられている、ちょっと浮いた子でした。
まだ「サプリメント」という言葉も一般的ではなかった当時、いろいろ調べてくれた母にリンゴ酢などを飲まされていたのですが、酸っぱくてすごい嫌だったのを覚えています。
かと思えば次に便秘になりました。これも病院にかかるレベルです。
総合すると、今でいうところの過敏性大腸(IBS)だったと思うのですが、当時はそういう病名はなかったのでお医者さんは首をかしげるだけでした。
最終的に「ノイローゼ」とか言われました。
※私の腸のこと↓
ちなみにですが、私の家族に腸に難のある人は一人もいませんでした。私だけ突然ぽっと出です。ワクチン……。
引っ越し、いじめ、挫折、引きこもり
幼稚園の年少組の時に、引っ越しで転園をしたのですが、その地域のコミュニティで、いかに私という存在が劣っていて無価値であるかを叩き込まれました。
かんたんに言うと、上級生、同級生、下級生、地区の人になんかいじめられました。
その結果、思春期には既にセルフイメージは地に落ちていました。
中学生の時には既に自分に自信がなさすぎて、自分のことが嫌いすぎて、鏡など自分の顔が映るものが大嫌いになっていました。
高校では、これまた変わったいじめに遭いまして、不登校気味になりました。
そういうしているうちに、高校3年生になってもいないのに、当時持っていた進学の夢が家庭の事情で実現が極めて困難になってしまい、私は生まれてはじめて生きる希望を見失った状態になります。
そのまま引きこもりのようになって、気がついたら20歳を迎えていました。
ほぼうつ状態で過ごした20代
20代で楽しかったのは大きな街で一人暮らしを始めた半年間くらいだけでした。
当時、よく調べもせずに就いた仕事で、手取りは12万円くらいしかなく生活はギリギリでしたが、ただ生きているだけで楽しくて、世界がキラキラしていました。
毎日が、初めてのことだらけのワクワクとドキドキであふれていました。
生きているだけで楽しい、というのは実は人の本来の姿ですから、何の疑いも持たずに素直にあのままいればよかったのですが、大きな町ですからいろんな人がいます。
一人暮らしをはじめて半年くらいして、不足を教えてくる人に出会いました。
- 手取りが少ないことは劣っていて不幸なことだ。なぜなら欲しい物を好きなように買えないからだ。
- 高級な物を持っていないのは劣っていて不幸なことだ。なぜなら高級な物を所有しているほうが優れているからだ。
当時、本当に何の不足も感じることなく、満たされた日々を過ごしていた私でしたが、私の中にそれを受け入れる土台がありました。それは、
- 自分は田舎者で無知だから大きな街の人が言うことのほうが正しい
- 年上の人の言うことは素直に聞くべきだ
という考えでした。
その人は明らかに私を利用しようとして近づいてきていたことを後から人づてに知ったのですが、当時は(今もわりと)馬鹿でしたのでまったく気づきませんでした。
聞いているうちに、一瞬忘れていた、自分への自信のなさがありありと蘇ってきて、お金をたくさん得て優れた存在になればそれを解決できるかもしれないと考えてしまったのでした。
世界が不足まみれになる
私の世界は急に不足だらけ、不満だらけになり、それを解決するために奔走する毎日が始まりました。
それはとても苦しいのですが、自分は「劣って」いるので頑張らなきゃいけない。
成功哲学の本を読んだり、ビジネスに使える心理術の本を読んだり、いろんなことを勉強するようになりました。
しかし、なくても良いものを欲しがり、それを得るためにしたくもないことをしていて、楽しく生きられるわけがありません。
それは自分ではない誰かを生きることです。
自分ではない誰かを生きていると、自分を喜ばせるもの、夢中になれるものが見えなくなるので、生きることのハードルは上がります。
また、世界が「ねばならない」とか「べき」であふれて窮屈になるし、魂の抜けたような状態になるため人につけこまれやすくもなります。
私も何度もお金を騙し取られたり、質の悪い嘘に振り回されたりしました。
今でも思い出すと、あの期間はリアルではなく、まるで悪い夢でも見ていたような感覚になります。
お酒などに逃げるようになる
もともとお酒は好きでしたが、この頃から荒れた飲み方をするようになります。
お金がなかったので、ウイスキーなどの濃いお酒を少しずつゆっくり飲んでいたのが、ちょうどこの頃にコンビニにストロング系チューハイが並ぶようになりました。
運命の出会いです。ガブガブ飲むようになりました。
この頃から、メンタルのバランスはぐちゃぐちゃになりました。
これまでの人生でここまで
- 何もしていないのに気分が落ち込む
- 何もする気が起きない
といった状態になることはありませんでした。
20歳なりたてくらいのときに自立神経失調症も経験しており、そのときは、「なんだコレ!?」みたいな動揺があったのですが、明らかに質が違います。
※自立神経失調症のときの話は別記事にしました
ネガティブの無限回路の完成
そして、私はその原因を「自分の容姿や性格が悪いから死にたいくらい気分が落ち込むのだ」と考えてしまいました。
- 自分に自信が持てないのはお金がないからだ
- 成功できるように足掻くが、楽しくないからうまくいかない
- ネガティブ(うつ)状態になる
- 原因は自分に自信がないからだ
これで無限回路の完成です。
これまでずっと自分の容姿や性格に自信がないのがデフォルトだったわけで、それでもそれなりに楽しく生きていました。
今になって冷静に考えれば、明らかにこれまでになかった習慣を取り入れた後にこの状態になっているわけですから、その習慣が原因である可能性が極大なのですが、当時はまったく気づきませんでした。
原因ではないものを原因だと考えた結果、当然のことながら解決は不可能になります。
その結果人生の難易度はかなり上がり、非常に生きづらくなりました。
それを解決したくて、藁を掴むようにまた成功哲学やスピリチュアル系の本や情報商材を漁るのですが、結果「自分が劣った人間である」というセルフイメージを強化する結果になりました。
どうにもならない状況から逃げたくて、またストロング系ゼロカロリーのお酒を浴びる、という負のループです。
暗い気分でいるだけならまだ、一人でしっとりしていれば済むのですが、あまりにも不幸なアクシデントばかりが向こうからやってくるので、自分は神かなにかに呪われていると思っていました。
結局、20代のほとんどを「明日世界が終わればいいのに」とか考えながら過ごしました。
当時の口癖は「◯ね!」です。めっちゃやばい人ですよね。
※まあ◯ね◯ね言ってたら自分が◯ぬことになったんですが笑
30代近くなって「あれ、なんかおかしい」と気づく
10年もそんなことを繰り返していれば、どんなに鈍い人でも疑問を持ちます。
状況が変わらないのは、
- 自分のダメさがもはや手の施しようがないレベルである
- 前提がすべて間違っている
このいずれかです。
「自分がダメだから」「あらゆる面において劣っているから」という仮説も、立ててしまえばなかなか筋が通っているように見えて、ワイルドカードのように機能してしまうのですが、よく考えたら何を持ってそれを「解決した」とするのかの基準がどこにもありませんでした。
- いくら稼げばいい?
- 何人に優越すればいい?→その優劣は一体何を基準にして判断する?
つまり、逆に何をもって「ダメ」と定義しているのかもよくわかりません。ということは、そもそもが荒唐無稽な話で、終わりのない負け戦だったのです。
荒唐無稽であるならば、それがすべて間違っているという可能性も同じレベルで存在します。
このことに気づいてスッキリした!というよりは、諦めに近い感情の中で、ジクジクと考えた末に気づいたのでした。
結局、残ったものといえば10代の頃からは考えられないくらいにふっくらとした自分の体型くらいでした。
まとわりついて離れないこのネガティブな気分は何?
負け戦をやめたとしても、ネガティブな気分や、常時不安な感覚は抜けませんでした。つまり自分に自信があるないは二次的なもので関係なかったことが簡単に証明されてしまいました。
だとしたら、なぜうつっぽい気分が抜けないのか?
- やはり強大な何かに呪われている
- 何か目を向けていないところに原因がある
このどちらかだと思いました。
(いやどっちも同じこと言ってないか?と思われた方は社会に蔓延している洗◯についてよくご存知の方だと思います)
前者を解決しようとするのは、とにかく色んな意味で疲れるのをよく知っていましたので、後者だと想定していろいろ調べてみました。
腸脳相関を知る
大きな書店で目にとまった本で、腸内環境のコンディションがメンタルのコンディションとリンクしている、という情報を知りました。(私の周囲では聞いたことのない新鮮な理論でした)
また、セロトニンという幸福感をもたらすホルモンが欠如するとうつ状態になり、そのセロトニン(前駆体)は9割が腸で生産されているとのこと。
小さい頃からずっと腸が過敏でいつも下痢か便秘をしていた私は、身に覚えがありました。
つまりこれを何らかの形で改善することができれば、この悪霊みたいにずっと取り憑いて離れないネガティブな感情も消え去るかもしれない、ということです。
この頃にはかなり諦めモードでしたから、試してみることにしました。
腸に良いとされる成分のサプリをいくつか飲んでみることから始めてみると、半月ほどして明らかに気分のベースが上がったような感覚になる瞬間がありました。心が軽くて、世界がとても静かに感じたのです。
それはちょっとしたイレギュラーレベルの些細なもので、ほんの1日とかそんな短い間でしたが、私を目覚めさせるには十分過ぎました。
あの心地よい静寂をもう一度!!
そこからはもっと情報とクオリティ(費用対効果)を求めるようになります。
腸のことから派生していろいろ調べるようになりました。
もともと都市伝説とか陰謀論系の話も好きでしたから、抵抗なくどんな情報でも調べました。
その結果、20代前半から毎晩のように飲んでいたストロング系ゼロカロリーのチューハイに含まれていた人工甘味料が、うつ状態の原因として超真っ黒であることを知りました。
また、どう好意的に見ても否定することができない利権の存在と、結果的にそれを守る働きをしている各種法律の存在に気づいてしまい、日本のサプリをやめて海外のものを飲むようになりました。
やりたいことが見えてわかったこと
いろいろ自分で調べるようになって、食生活を見直し、サプリの助けも借りながらですが、心も体も身軽になることができました。
おかげで、常時「やろうと思えばできる(実際やってみるとできる)」という状態を保つことができています。
その結果、やりたいことが見えてきました。
考えてみれば、純粋に「やりたい」という気持ちからのオーガニックな夢を持つなんて、高校のとき以来です。
もちろん、それを実現するにはそれなりにお金も必要なのですが、今はそのために行動することがまったく何の苦もありません。
不足の解決のためにマグロのように終始「行動しなきゃ!行動しなきゃ!」となっていたあの頃とは大違いです。
おわりに「過去の自分に伝えたいこと」
いろいろと端折りましたが、だいたいこんな感じです。
最後に、もしタイムマシンがあるなら、あの苦しんでいた当時の自分や、未来の子どもたちに伝えたいことを書いて終わりにしたいと思います。
これは完全に私の体験に基づく主観的な意見ですので、ツッコミどころもあるかもしれませんがご容赦ください。
自分がダメか良いかは自分で決めていい
自分がダメか良いかは自分で好きなように決めて下さい。
どちらの可能性も均等に存在しているのでどちらでも良いです。好きな方を選んで良いのです。それなら快適な方を選択しておけばいいと思います。
もしも「そうはいっても『良い!』と言い切るのは難しい……」という段階にいるならば「自分は普通である(どちらでもない)」を選択してもいいのです。
その判断を自分以外の誰かに委ねてはダメです。
それがたとえ親だろうと先生だろうと、近所の大人だろうと、クラスのリーダー的な同級生だろうと。
他人の評価は「そういう見方もあるんだなー」以上で受け止める必要は皆無です。
人はあなたのなかに自分の過去を見ている
人はあなたのことを見ていません。彼らはあなたの中に自分の過去を見ています。
リアルタイムのあなたを知っているのはあなた以外にいませんので、他人のあなたに関する評価はどれも誤解に等しいです。
そして、あなたを否定してくる人というのは、あなたに自分の過去を見ていて、それに対してパターンで反応しているだけです。
つまりあなたの問題かと思いきや、それはその人のナイーブな問題が露呈しているだけですので、これも距離を置いて参考にさせてもらう程度でとどめておいてOKです。
幸せに条件づけをしない
幸せになるために何かが必要である、という思考状態に気をつけてください。
- ◯◯(何か)があれば
- ◯◯(誰か)がいれば
幸せになれる、というロジックは幻です。それに囚われている時点で既に誰かの術中にはまっています。
つまり、あなたはあなた以外の誰かを代理して生きています。それははっきり言って地獄ですし、その状態のあなたには魅力はほとんどありません。なぜなら紛い物の「誰か」だから。どこまでいってもオリジナル以下です。
それよりも、それを考える時に反射的にやっている現状の全否定と逃避に目を向けて下さい。
それは直視すればまったく恐ろしいものではありません。
また、これは絶対に試さなくてもいいですが、「誰かを生きる」ということを続けていると
- なぜ、どのようにして、今、自分がここにいるのかわからない
- 気がつけば自分でもどうしていいかわからない状況の奥深くで佇んでいた
という、ある種記憶喪失のような状態になります。
もちろん、持ち直す、巻き返す効率の良い方法もきちんとありますが、これに気づいた時の喪失感はかなり強烈で、人によっては立ち直れないほどのショックになります。
まずは人体で最大の臓器を味方にする
味気ない言い方になるかもしれませんが、事実として、幸福感があるときセロトニンがあります。そしてセロトニンは大半が腸で作られます。
そこに、容姿も性格も、職業も人種も関係ありませんし、「自分がダメ人間だから」とかそういう思考も一切関係ありません。
計算ドリルをやるようにドライにセロトニンを増やすアプローチを考えましょう。
良い気分になってからいろいろ考えたほうが圧倒的に効率がいいのは自明の理です。
幸せな気分で選択をすれば幸せにつながる選択をする確率が跳ね上がります。
お腹いっぱいになった時に、それまで食べたいと思っていたものがどうでも良くなるように、あなたの世界からそこまで欲しくもなかった欲しい物が消えていきます。
それでも残った欲しいものが本当にあなたの欲しいものである可能性が高いです。やったね!
セロトニンに関しては否定する学説もありますが、とりあえずコンディションに対する腸の支配力はえげつないです。それだけは体感で断言できます。
潜在意識がどうのこうのは一回忘れる
潜在意識云々の話は一回忘れて下さい!「あなたはやればできる」という言葉に抵抗を感じるのなら、とくに。
現実が不本意であることは現在の揺るぎない体感であって、それを力技で魔術的に書き換える方法として潜在意識というものに救いを見出そうとすると、現状を見る目に靄がかかります。
そうなると現状維持により強く縛り付けられます。
「私は1%しか意識の力を使えていないから残りの99%を開花させなければ」と考えるのは結果的に今の自分を99%否定することですし、現在ある幸せも同じように否定され見えなくなります。
これをやると必然的に幸せは未来に移行されます。未来のことを考えてはいけないわけではありませんが、「成功したらやる」が習慣になり、今すぐできることをいくつも先送りにするようになります。
この癖がつくと未来を担保にして簡単に今を犠牲にするようになり、自分の今を簡単に犠牲にする習慣がつくと、今度は簡単に人の今を奪うようになります。
今、幸せであることを自分に許すことの強力な妨げになりますし、まるで自分を罰しているみたいに、非効率で苦しみの多い回り道を好むようになります。
信念の置き場所には本当に気をつけて
信念の取り扱いには気をつけて下さい。
意識の割合ではなくて、シンプルに気をつけて欲しいのは信念の置き場所です。信念は常にリアルタイムで極大出力です。「何も信じていない」というのはあり得ず、必ず何かに置かれているのが信念です。
信念を得たものはリアリティと力を持ちますし、現に信念を置いているものが現実としてそこにあります。
あらゆる情報をとりあえず「参考にする」以上で受け取らない、というのはそういう理由からです。
雑な言い方ですが、私やあなたの信念はお金になりますので、誰しもがあの手この手でそれを勝ち取ろうとやって来たはずです。
信じるように誘導されたものや邪魔になるようなものをたくさん信じているはずなので、逆に今信じているものからひとつひとつ、一回信念を取り下げてみる(疑ってみる)、というデトックスのような思考実験をしてみるといいです。
たとえば、あなたが所有している本で名著とされているものや、受け入れている考えの中で権威があるとされている人の意見とか、信じる信じない以前の問題(信じるのが当たり前)に感じられるものとかが非常にアツいです。
恐れることはありません。あなたにとって好ましくないものや人や状況に対して「正体はなんだろう」「なんて粗い幻だろう」という目を向けるだけで、信念はかなりずらすことができます。
これによって簡単に目が覚めて毎日がシンプルになります。
行動神話は捨てよう
「行動しない人間(自分)は無価値」のような考えにとらわれないで下さい。
だいたい根性論的なモチベーション理論とセットになっているのですが、これが真だとするならば、何もする気が起きない状態にある人は皆無価値、すなわち腸内環境が乱れている人は総じて無価値ということになります。
もちろん何かを得るには行動が伴いますが、「行動しなきゃ!」という考えに囚われると、まるでマグロのように終始行動していないと落ち着かない、ある種病気のような状態になります。
この状態になると、一旦立ち止まって落ち着いて本を読んだり、思考を整理したりということが困難になるため、状況の変化に臨機応変に対応する能力が下がり、非常に脆い人になります。
ハンターザ・ハンティングの人たちが仕掛けた、ちょっとしたトリックのようなものですから、一回ここからも信念を外して、手を止める勇気をもったほうがいいです。
行動したい気持ちは腹から出ている
脳以外の臓器がおかしくなれば、私たちは外部の原因を考える。ところが脳(心)がおかしくなったときは、本人か、親か、生活習慣のせいにされる。(『あなたの体は9割が細菌』アランナ・コリン著 矢野真千子訳 113ページ)
かつて私は、マイクロバイオームについての本にあったこの言葉にすごい気付きをもらいました。
これは精神の不調について言っていますが、いわゆる「モチベーション」と言われる、行動したい気持ち、行動できる気力が出ない場合も、その人は「ダメなやつ」とかいって否定されます。
これを精神論で解決しようとすると迷子になりますが、事実として、満足感や幸福感をもたらすセロトニンというホルモンにはいわゆる「モチベーション」と呼ばれている気持ちを上げる働きもあります。そしてそのセロトニンの大半は腸で作られています。
このように肉体に起因している状態ならば、同じレベルで対処ができるため、悩む必要はありません。
自分のご機嫌を取ろう
みなさん上司先輩取引先のご機嫌をとるのはそこそこお上手なのに、自分のご機嫌のとり方となるとダメダメなこと多いですよね。
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ
というように、まず自分の愛し方がわからないと隣人も愛せないです。これまじで。
でも、これまで自分に厳しくストイックに生きてこられたあなたはやり方がわからないかも。
私もそうだったので、気持ちすごくわかります。
私の場合、
- 自分のご機嫌のとり方わからんからとりあえず腸のご機嫌とろう
- ネガティブが軽くなる
- お肌まで綺麗になって-15歳とかに見られるようになる(え、え、これ本当にワイ?今まで何だったの?)
- 毎朝鏡見るのが好きになる
- 若返りに興味持つ
という感じでした。
自分のご機嫌のとり方がわからないならとりあえずわかりやすくボディのケアから始めることをおすすめします。
とくに肌!触れるし見ることができるし、わかりやすいから!
経典とか仏伝とか読んでいるとわかるのですが、お釈迦様がいた当時の古代インドでも最高の褒め言葉は男女関係なく「お肌めっちゃキレイっすね」だったそうです。(お肌めっちゃキレイ=徳が高い、心が整っている)
で、お肌のコンディションすなわち腸のコンディションです。
なんかぬりぬりする前に腸をケアしてあげましょう。それが一番ラク。ほんとに。
体温を上げておこう
何もかもめんどくさければとりあえず体温だけは高めに保っておいて下さい。
バイブスを上げたければ体温を上げておきましょう。逆に体温が低くて良いことは何もありません。
中学校の理科で習ったとおり、温度と振動数は比例します。単純な話です。
見える世界が段違いにアガります。
何を摂るかではなく何を避けるかを考えよう
日本という国で暮らす上で心身の健康を気にするのなら、何を摂るかではなくて何を避けるかを考えましょう。
どんなに良いものを摂ろうと、それを台無しにしてしまうようなものがあふれています。だから摂らないことにフォーカスしましょう。
摂らない世界にはビジネスは発生し得ませんので、お金を取られることもありません。
解毒を考える
なんで普通に暮らしていてこんなことを考えなきゃいけないんだ、と正直思うのですが、それが20年前くらいからの日本のリアルです。世界でも群を抜いて食品添加物や遺伝子組み換えについての規制は緩いし、水道水の塩素含有量もトップクラスです。
ほんと、調べれば調べるほど安心して食べられるものがなくなっていきます。
そういうのを避ける生活を実際にやってみると、完全に避けるのはほぼ不可能だとわかると思います。それでも丸腰でいるよりは圧倒的に良いので意識はしておいたほうがいいです。
その上で、避けきれなかった毒を排出することも考えておいたほうがいいです。
腸内環境を良好にしておくことや体温を高めに保っておくことにこれといったデメリットがないのと同じで、溜まったものを排出しておくことにもデメリットはありません。
もし難しいなら、サプリなどツールの助けを考えてもいいと思います。
ただ、デトックス関連のサプリ界隈は魔境なので、体験者の意見をよく吟味して道標にするといいです。
以上です。
うざいくらい長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
私の経験が何かの参考になれば、報われた気持ちになってほんとうにうれしいです。
これからも、自分の体験に基づいた役立つ情報や、徹底的に調べたことをお伝えして参りますので、どうぞよろしくおねがいします。
ありがとうございました。