犠牲と赦しについて「声」さんから教わった話

ある日聞こえてきた声に「犠牲」と「赦し」について教えてもらったときのことを振り返ってみます。

 

これはあまりにも露骨で印象的だったのでよく覚えています。

クリスマスの祈りと禍事

あれは2019年のクリスマスイブのこと。

宗教の人でもないのに、なぜか朝からとても神聖な気持ちだった私は、

 

「すべての子どもたちが最高に幸せなクリスマスを迎えられますように」

 

という祈りを繰り返していました。

それはとても心地良い祈りで、私は幸福感で満たされていました。

 

そこまでは良かったのです。

 

その祈りが叶った光景が何が何でも見たいと思った私は、この祈りに次のようなことを付け加えます。

 

「私はどうなっても構いません。私は最後でいいので、どうか」

 

つまり、私を代償として差し出そうとしたわけです。

なんかそれを尊いことのように感じた自分もいて。

 

その数時間後に、当時勤めていた職場で大事件に巻き込まれます。

もともと理不尽なパワハラが日常的な職場で、それまで私は上手く避けてきたのですが、ついにそれを受けることになりました。

 

事件の詳細までは覚えていませんが、理不尽な言いがかりで徹底的に人格を否定され、ぼろぼろになったのだけは覚えています。

 

朝、あんなに幸福感に包まれて歩いた道を、その8時間後に泥酔状態のひどい顔で歩いて帰る私(半泣き😢)

 

なに、これ。

なんだ!!これ!?

 

その翌朝、ひどい二日酔いでパソコンの前に座ると、例の声がしました。※要約みたいになるかもしれませんが思い出して書いてみます。

愛しながら自分を攻撃する

それが、犠牲なんだよ。

あなたは「すべての子どもたち」から自分を除外した。

すべての源であるあなたを除外することは、結局のところすべてを除外していることになる。

 

あなたは自分を犠牲に捧げた。

 

それはすべての子どもたちを犠牲に捧げたのと同じことだ。

すべての子どもたちの幸せなクリスマスのために、すべての子どもたちを犠牲に捧げる。

おかしなことになっていると思わないか?

 

たしかに意味がわかりませんね。

犠牲……ですか。

いや、なんか大きな願いには代償が必要なのかなと思って。なら私でいいかなーって。

 

代償なんていらないし、願いに大小なんてない。

 

あの祈りには、願いのようなものと、はっきりとした願いの2つがあった。

 

  • すべての子どもたちに幸せなクリスマスを迎えてほしい
  • 私を犠牲にしてほしい

 

あなたは「これだけの大きな願いが叶うためにはそれだけ大きな苦痛を私が受けなければならない」と思った。

だから、叶った。

あなたにはまったくそのつもりはなかったから、青天の霹靂のように感じたかもしれないが、あなたが求めたとおり、今あなたに起こり得る最大限の嫌なことが起こった。

 

でも、「私は最後でいいので」って言いました。

これって私も含まれていませんか?

 

その「最後」、本当に来ると思ったか?

 

いや、思ってないですね。

結局のところ、仰るとおり遠くにふっ飛ばすことで私を完全に除外していましたね。

 

逆だよ。源であるあなたが「最初」でなければ願いとして成り立たない。わけがわからないことになる。

 

あれは結局、あなたがずっと繰り返してきたのと同じ、あなた自身への攻撃なんだよ。

 

あなたはよく、愛しながら自分を攻撃するということをする。

愛と自分への攻撃。それらは混ざり合って程よい感じになったりはしない。両立し得ない概念だから。

 

愛しながら自分を攻撃する。

最初に「自分を」をつけてごらん。一気に矛盾した言葉になる。

自分への攻撃とは自分への愛の不在だから。光があれば闇が存在できないのと同じで、それらは共存し得ない。

 

つまり、「『何』を愛していいかわからないけどとりあえず愛のようなものを夢見」ながら、自分を攻撃しているだけだ。この「愛のようなもの」を纏った自分への攻撃が「犠牲」だ。

 

犠牲という夢は天国とは何も関係がない。

思い出しなさい。天国に犠牲はあるだろうか?

 

なかったですね。

 

自分への攻撃をよく警戒しなさい。衝動を見張りなさい。あなたの見ている夢にはあなた自身への攻撃願望の象徴が無数にある。もうそれらは取り消されていい。

 

それらに仮初めの生命を吹き込んでしまうことになる前に、あなたのそれらへの信念を、赦しによって手放しなさい。天国に赦しはないが、この夢の世界ではそれは赦しとして知覚される。

赦しによって、あなたはこの夢の世界で溺れる夢の住人から、夢を見ている主体に戻ることができる。

そこに立っていれば、選択は容易なものになる。

 

あなたには、赦すことが何か損をすること、敗けることのように思えるかもしれない。それはあなたがまだ自分を攻撃していたいと思っているからだ。

 

あなたが禍事と呼ぶ苦痛をもたらす事象の正体が自分への攻撃であることがわかったのなら、そしてそれに苦痛を感じるのなら、よく見張りなさい。手放しなさい。夢の世界のものは夢の世界に返しなさい。

 

うーん、上手くできるかわかりませんけど、やってみます😣💦

おわりに「赦しは最強のライフハック」

こんな感じでした。

 

その後、私は言われたことを意識して生活するようになりますが、見張れと言われたのは、これまでずっと無意識にやっていたことです。

当然、「またやっちゃった💦」ということが多々起こります。

 

何度も何度も、挫折して絶望の淵に戻っちゃいましたし。

 

今は大分見張れるようになっています。

それでも時々禍事飛んできますけどね!

 

圧倒的に自分を呪わないようになって、犠牲グセが治ってきても、まだ自分以外への不満は生じることがあります。

「声」の言うとおり、天国と同じようにこの世界でも私が「すべて」なら、それも自分への攻撃なので、言われたとおり、なるべく赦すことで夢の世界(の因果律)へお返ししています。

 

その結果起こる修正を人は時に「奇跡」とか呼ぶのだと思います。

 

「赦す」ってべつに高尚なことじゃない。

楽になるための唯一にして最短の近道なんだと知りました。

 

 

 

何かの参考になれば嬉しく思います。

 

以上です。

最後までお読み下さりありがとうございました。




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