究極的には「なんかしらんけど」を大切にしています。大切なことほど「よくわからない」ほうがいい。その理由をお話しします。
これ、コメント欄などでぜんぜん反論や否定をしていただいても結構です。私が長年ずっとこれで生きているから、逆に反対意見に触れてみたい。
あなたの言葉には天国を制限するほどの力がある
言葉とは咒です。
最近はやっていませんが、若い頃に不思議な御縁で、プロの霊能力者さんが除霊に失敗した悪霊の除霊をアドリブでやったていたことあります。(「あなたできるでしょ!?思いつくままにやってみて!」みたいな😅)
どうやら私は「無自覚の視える人」だったらしく。
言われてみれば小さい頃から、目に見えないものに普通に「反応」(会話とか)をしていました。私はそれが当然だと思っていました。
祝詞とか真言とかを使う関係で「言葉には不思議な力があるなあ……」とは感じていましたが、天国のことをちゃんと思い出してからは確信に変わりました。
言葉は、心の中にふわっと浮かぶくらいならまだしも、発声されたら最後、必ず世界に影響を及ぼします。
心の中でも繰り返し繰り返し唱えられていれば影響が出ます。でも発声は別格。
どちらも、源であるあなたは絶対に無関係ではいられません。
世界にはまるで影響がないように見えてもあなたには確実に影響が出ます。
★悪い例(真似しないでね!)
「はじめに言葉ありき」
聖書に書かれている言葉です。
この世界すら、天国を強力な咒で制限したことで始まっています。
あなたにはあの天国をすら制限してしまうほどの力があります。
天国を実際に見てきたのでわかりますが、あなたの力の源が神であることは揺るぎない。
私はもしも十字架に架けられて拷問を受けてこれを訂正しろと迫られても絶対に曲げません。
「だって見たもん!」って言い張ります。
神たる天国に拮抗できる存在がいるとすれば、それは神と同じ力を持った何かですよね。超シンプルな話🤭
その力でもって大切なことを描写してしまえば、それは少なからず制限を受けることになります。
なんていうか、その概念が持っている光が曇るんですよね。
影ができるということは座標ができるということ。
私が天国から地上に戻された時もこれと同じプロセスを踏みました。
あなたの中の無限と調和して、ほっとけばそのまま永遠に在るものを、わざわざいらん制限をかけてこの支離滅裂な有限の世界に送り出してしまうようなものです。
あなたは言葉にしてそれに生命を吹き込んだつもりかもしれませんが、忘れないで欲しいのは、ここは天国とあらゆることが真逆に作られた顛倒夢想の世界ということ。
待っているのは支離滅裂といつかくる終わりです。
まるでこの夢の世界があなたの外側にあって、そこに投げ出せば呪いがかかるみたいな言い方をしましたが、ほかでもなく天国出身(というか今でも天国にいる)のあなたが、この世界が支離滅裂であることを知っているので、あなたによって支離滅裂の属性が付与される、というのが正確です。
インスピレーションのままに天国の話をしてしまいましたが、もう少しこの世界の決まり事に即した形で表現してみます。
理由が明確になればアンチテーゼが発生し得るレベルにそれを置くことになるから
たとえば、大好きな人がいたとして、その気持ちの根拠を言葉にしてみたとしましょう。
- おっぱいが大きい
- やさしい
- 仕草が可愛い
- 博多弁がばり可愛い
- イケメン
- 肌がきれい
仮にあなたに好意を持って、あなたを奪いたい、手に入れたい人が現れた場合、その人達の取っ掛かり(突破口)になるのはこれらあなたが描写した概念です。
また、これらの概念の中で永遠に続くものは一つもありません。シッダールタ先輩はこれを何度も弟子に説いていました。
この中で、その人が生きている限り失われることがなさそうなものといえば博多弁くらいですが、それすらその人が関西弁や北海道弁や沖縄弁にかぶれたら失われる可能性があります。(大阪も北海道も沖縄もとても魅力的ですからね)
また、外から来るものだけでなく、あなたの内側でもそれは有限の属性を付与されます。
飽き(比較)が始まるのです。
思い出してみれば、私もこれまでたくさんのものを失ってきましたが、失う直前に必ずそれを言葉にしていました。
言葉にすると、それは終わりへと向かう錐揉みのベルトコンベアの上に乗せられます。
私はそれを必死に追いかけていないといけなくなるのです。元々私の中にあってずっと持っていても良かったのに。
だから、あなたにとって大切なことほど
「なんかしらんけど」
でいい。そのままがいい。
そう思います。
言葉は祝福にだけ使う
じゃあ何も言葉に出来ないじゃん💢
- 愛
- 歓喜
- 祝福
これらを表現する言葉は咒にはなりにくいです。
「にくい」というのは、大体余計なこと(具体性)を混ぜてしまうから。
なんて言えばいいのでしょう、相手の頭上20cmあたりを表現する言葉というか。発しても昇華して登っていく言葉。
あなたの世界が天国の様相を呈しているとき、あなたは必ずこれらの言葉を使っている。それはURLリンク(内部🤭)みたいなものだから。
それに対し、具体的な表現というのは、直感を研ぎ澄ませればわかりますが、出した瞬間「くんっ」と下に引っ張られるような感覚があります。
「天国にだけ警戒していなさい」
奇跡講座でイエス先輩が言っていますが、これが意味することの末端はそういうことなのではないかと解釈しています。
以上です。
本年もたくさん読んでくださって本当に本当にほんとーーーーーにありがとうございました🥰
みなさんのことが大好きです。
今後ともよろしくお願いします。