目、ちょっと大きくなったんですよねえ……。原因として思い当たるやつがありましたので追加でお話しします。
★この記事の追記です。
追記グセがあって記事が長くなりがちマンなので、別記事として投稿させて頂きます。
目次
目元の印象が変わりました
これ、ピチピチの15歳!
歩くコンプレックスな私なんですけど、目元にあるクマが嫌で嫌で、
なくなれー!
なくなってくれー😖
……って、ずっとお風呂で憎しみを込めて揉んだりしていました。
するとどうでしょう。
なくなるどころかどんどん大きくなっていって、
やっぱ私は前世の何かで呪われているんだわ😣
とか思って絶望したものです。
35歳くらいになるまでこれを涙袋っていうの知りませんでした。
大きくなってくれて良かった。
当時のアホな自分に感謝しています。
比較のために記事のアイキャッチ画像も載せておきます。
目までちょっと大きくなったのは心の持ちようです。
これは本当に。
整形とかしてないです。
注射されるのすら毎回泣くくらい嫌なのに顔に刃物入れられるとか考えただけでひゅんひゅんします絶対無理。8億円くれるならちょっと考える。
今回はその、目が大きくなって印象が変わった心の持ちようについてお話ししてみたいと思います。
「この、そんなに悪くない世界をもっとよく観察したい」
そう思うようになってから、目は大きくなるし、視力まで上がりました。
今は視力検査で左右どちらも全部見えます。(画像でちょいちょいかけているメガネは伊達です。雑貨屋で1,000円👓✨)
他の記事でもお話ししていますが、結局、自分を人を呪わないことの効用のひとつです。
しかもわりと即効性がありました。
だって、自分を呪う私は鏡を見たくないし、誰かを呪う私は世界を見たくない。そりゃ目は小さくなります。
ほんと、15歳のときから、自分も人も呪いまくっていましたから私。
「執着しながら執着のない世界を見る」
呪いながら幸せな世界を見るというのは無理な話です。もろに拮抗しちゃってる。
「執着しながら執着のない世界を見る」
と同義ですので、無理です。
呪っている間は何も見えていないのです。
それ、恐怖で覆い尽くされた瞼の裏なんだ🤫ヒミツ
意味が薄れると観察できるようになる
呪うのをやめると、ひとまず世界に与えていたインパクトのあるネガティブな意味が薄れます。
すると、世界はニュートラル……とまではいかずとも、そんなに悪くないところであることがわかります。
禍々しい意味もなく、そんなに悪くないものなら、怖くないので観察できる。
観察できるなら観察したい。
新たな意味という呪符を貼り付けることなく、ただ、観察したい。(いや、うっかり貼り付けちゃうことありますけどね💦)
そこに何も見えないなら見えないでいいから、目を背けない。
私は見る。
そう思うようになってから、気がついたら印象が変わっていました。私の知っている私はこんな顔をしていなかったはずです。
もちろん、肉体としての目や、それが拾ってくる「色」という情報に何の意味もないんですけどね。
執着しなければ、それは川のせせらぎのようなもの。
肉体の形象に意味はないけれど、意味を与え続けている限りはそれは必ずなにかを表象します。
何もしないでいると目は加齢とともに小さくなっていくもの
ちなみに、何もしないでいると目は加齢とともに小さくなっていきます。周囲の皮膚が伸びるからです。
これは、骨がたるむのと、加齢とともに表情がこわばる(緊張していく)からです。
いくつになっても凛としたお肌を保つ秘訣は骨(骨組み)をたるませないこと。これは衝撃的でした。
私が実践している顔の体操
そんなに日頃から笑いっぱなしの人っていませんので、やっぱり何もしないでいると表情筋ってこわばっていくものです。
なので、私の場合は、サウナで蒸されているときに頭にかぶったタオルの下でめっちゃ笑顔してます。
あと、「あ・い・し(い)・て(え)・る(う)・よ(お)」の口を顔の筋肉目一杯使って繰り返しています。
顔の体操にはなるわ、世界に祝福ばらまけるわで一石二鳥😋
これ、毎回最初の方硬いので、やっぱ日頃からそれだけ表情筋使うほどは笑ってないってことなんですよね😮💨
以上です。
最後までお読み下さりありがとうございました。