大人にいじめられた話と後からわかった意外な原因

プロフィールのページで「幼少期に引越し先のコミュニティで、いかに私という存在が劣っていて無価値であるかを叩き込まれました」ということを書きました。それがどんなことだったかというのをちょっと詳しく書いてみたいと思います。

「気持ち悪い」という言葉でめちゃくちゃ傷ついていました、みたいな話をさせていただいたのですが、これは主に同年代とか先輩からかけられていたものです。

実は、それ以外で子供心では「理解できない」パニックとともに、セルフイメージがガタ落ちするきっかけになったことがたくさんありました。

 

それは、周囲の大人によるいじめです。

デリケートな問題ですが、あれはいじめだったと思います。

なぜか近所のおばさんに目の敵にされた幼少期

引っ越してから数年して、それまで道で会えば挨拶をしていたような近所のおばさんAが、突然私にきつい当たり方をするようになりました。

それは仲良くしている友人のお母さんだったのですが、べつにその友人と何かあったわけではないし、関わる機会もほとんどありませんでしたので、この急激な態度の変化に言いようのない不安を感じました。

 

ある時、公園で座っていると、急にそのおばさんが怖い顔で近づいてきて、いきなり怒られたことがありました。

いろいろ言われたのですが、その中に「飼い犬がうるさい」みたいなことが混ざっていました。

 

「犬がうるさいのが悪いのか」と思って、それから犬を吠えないようにしつけたのですが、どういうわけかそれからもおばさんは別のネタで何度も私に「苦情」を申し立ててきました。

子どもながらに「そういうことは大人同士で話し合ってくれたらいいのになんで私に?」と疑問でしたが、何度も言われるにつれて「大人の言うことは正しい」というフィルターが「自分が悪いんだ」という意識が育っていきました。

 

 

 

次に、私たち家族の少し後に引っ越してきた別のおばさんBが参戦しました。

このおばさんも、どういうわけか犬の散歩中に私を見かけると寄ってきて、いろいろグチグチ言っていくようになりました。

彼女はおばさんAとはまったく関係ないどころか、むしろおばさんAともちょっと険悪とかいうカオスな人間模様です。

 

彼女たちの指摘は次第にエスカレートしていって、人間性の直接的な否定まで言ってくるようになりました。

たしかに私は疑問に感じるとすぐ顔に出てしまうので、素直じゃない子だったかもしれませんが、あそこまで言われることはなかったんじゃないかな、と思います。

子供心にも感じた「なんか違う」

その地域は比較的高齢な方が多く、危ないことや悪いことをすると叱ってくれる大人がたくさんいて、地域で子どもを育てる、という空気がありました。

怒られながらも、そういう大人の言うことにはどこか愛情を感じるのですが、彼女たちの場合、明らかな攻撃心を持っていることが言葉や態度にあらわれており、リアルタイムでも「なんか違うぞ」と感じていました。

何より、こちらの反応は一切関係なく、自分が言いたいことを言い切るまで話が終わらないのです。レスポンスを一切期待していないというか。これはもう動機が言葉尻どおり(問題を解決したい)ではないことを意味しています。

だから話にも筋が通っておらず、何を謝ればいいのかがまったく見えません。二重の意味で理解できないものでした。

当たりのきつい小学校の担任の先生

小学校のとき、事の真偽をよく確かめもせずにすぐに叱る先生が担任だったことがありました。

これも不思議なことに、同級生の評価は「面白くて明るい先生」だったのです。

 

自習中にわからない漢字があったので辞書で調べようとしたら「関係ないものを出すな!」と頭を叩かれたことがあります。他の子は普通に辞書を広げて調べているのに、なんでそれが良くて私が見るのはダメなのか理解できませんでしたけど、みんなの前でめっちゃ泣きました。

いや自習の意味よ

またある時は、友達と昨日見たテレビの話をしていたら、急に後ろから現れて「今先生の悪口言ったよね?」と怒鳴られたことがあります。もちろん否定して説明しましたが「嘘をつくな!たしかに聞いたんだから!」と譲りませんでした。

1年間で何度もこういう理不尽なことがあり、最後の方は学校に行くのが怖くなっていました。

 

大人の中でもとくに正しいとされる先生という立場の人がこういうことをすると、ダメージがえげつないです。

しかも自分で用意できそうな範囲に、その傷に適合する回復材料がなさすぎます。それらの存在しているかもしれない土台ごと破壊されてしまう感覚です。

 

あらゆる否定意見は「自分と相手のどちらが正しいのか」というジャッジメントを喚起しますが、先生によるものはとくに落差が激しすぎて世界から希望が消え失せます。

後になって知ったいじめの原因と思われる本人たちの「事情」

小さなコミュニティの良いところでもあり、また悪いところだとも思うのですが、人様の情報がすぐに回ってきます。

 

おばさんAとおばさんBは、ちょうど私にああいうことをしはじめた頃から、家庭環境(夫婦関係の悪化とか子どもの非行とかで)が崩壊していたそうです。

また、某担任の先生は、当時精神を病んでいた、ということを知りました。

 

私も大人になりましたから、なんか、こう、思い通りにならない状況の中でイライラしてどうしようもない気持ちはわかるんですが、だからといって近所の子どもにそれをぶつけようという気にはぜんぜんなりません。

 

このように、大人が子どもをいじめるのに、子どもの側に原因なんてあり得ないのです。なぜならあらゆる面において経験のアドバンテージのある大人にとって、子どもは驚異になり得ないから。今現在その人の感情を乱している原因にはまず関係ないから。

子どもが原因に見えているのは、その人が自分に騙されているからです。原因を直視するのを恐れるあまり、固く閉じたまぶたの裏に浮かぶ映像に踊らされているのです。

 

現に、彼(彼女)たちは原因(私)にアプローチしているつもりなのに、全然解決していませんでした。

だから、何度も何度も同じことを繰り返してきたのです。

 

私の何かが気に入らないなら、それをはっきり言えばいいのに、言わない。まったく伝わらない。

つまり、それは原因ではないということです。

 

これは私も経験がありますが、原因ではないものを原因だとロックオンすると世界は夢のように支離滅裂になります。

支離滅裂な世界は恐怖と不安と不信で満ちている辛いものです。

今大人にいじめられている子どもに伝えたいこと

上記の私のケースを参考にしてください。身に覚えがない場合、原因があなたではない可能性もかなり存在しています。

むしろ経験にまみれた大人のほうが、表からはわかりづらい、最悪本人も見えていない動機を隠し持っていることが多いです。

 

言われたままに無条件で「自分が悪いんだ」と思って原因を探さなくていいです。

私の辛い自責や反省は、それが起こっている原因とは関係がなく、極めて無駄だったことが証明されました。

ただ辛かっただけ奴

もちろん、その辛さの責任を彼(彼女)が取ってくれるわけではありませんので、最初からそんなことしなくてもいいのです。

 

興味が爆発するようなら、また何かの役に立つのなら思考実験みたいにやってみてもいいですが、なんか辛くなるならすぐやめて下さい。そもそも、その尊い興味はもっと他に使いどころがあります。

 

成長するのに苦痛は必要ではありません。それを教える大人が周囲にいるのだとしたら、その人は先代からそのように教わったからです。

そのような代々受け継がれる呪いのようなものは、あなたで終わらせて下さい。効率的な楽な道を選択することも自分に許してあげて下さい。

 

抵抗を多く感じる道を行くと、たしかに気づきはたくさんありますが、抵抗=苦痛ではないです。

「自分を知りたい」という興味から外れてまで探求するとそれは苦痛になりますので、誰かに言われて義務感でやるものではないです。

おわりに

もちろん、私がいじめに遭うような、目をつけられるような、周囲を不快にさせる原因を日頃から無意識に撒き散らしていた、という説ももちろんありますし、それを前提にしてもすべて筋が通ってしまいます。

当然、当時はその観点から何度も反省をしましたが、それとは別の原因のようなものが後からわかった事例でもありますので、お話しさせていただきました。

 

脊髄反射的に「自分が悪いんだ……」と思ってしまう繊細な方に届けばうれしいです。

 

 

以上です。

最後までお読みいただきありがとうございます。




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