ただ心穏やかにいたいだけなのに、なかなかそうはさせてくれない、もうほっといてほしい……。その気持ちすごくわかります。
本当にこれ。「いい出会いがほしい」「仕事で成功したい」というより「心穏やかに暮らしたい」。 pic.twitter.com/jrLDME6bRX
— よでぃ (@yod_blog) November 16, 2023
これ😭
共感しすぎてやばいです。
「心穏やかに暮らしたい」
ただそれだけなのに、なんでだよ……ってことありますよね。
ちょっと恥ずかしいですけど、私がこれまでの人生で感じてきた難しさみたいなものについて主観でお話しさせていただきたいと思います。
心穏やかに暮らしたい、そっとしておいてほしい
誰かに勝ちたいとか、
人気者になりたいとか、
モテたいとか、
そういうの全然ないから、とにかくそっとしておいてほしい。
以前はあったのかもしれないけど、それがもたらす弊害(嫉妬)のダメージが大きすぎることを経験したから、もう持ってないし、持たないようにしている。
持っていないのに「それ」が飛んでくると、急に怖くなる。
「私は今そう見えているのかな?」
「だとしたらどういうところがそう見えているのかな?」
「急いで直さないと」
頭の中がいっぱいになって、考えなくてもいいことまで考えてしまって、冷静でいられなくなる。
平穏が壊れる瞬間。
でも「それ」の存在に気づいた時点でだいたいもう手遅れ。
その時には既に攻撃が始まっているから。
自然体でいるだけなのに。
相手がこちらの何に嫉妬しているのかわからないし、わかったとしても相手のためにどうしてあげることもできないもの(こと)が原因になっていることが本当に多い。
それが自分の外側にあるものなら手放すとか隠すとかできるけれど、自分の外見や内側にあるような手放せないタイプのものだった場合は、もうそれを壊すか汚すしかない。
「ああ、またか……」
あの、一切を放棄して、煤けた灰色の冷たい運命の前に身を委ねることを決める瞬間の諦念の感覚は今でも慣れない。
毎回ちゃんと怖い。
けっこうそういうことあったのに、ぜんぜん耐性がつかない。
耐性なんてものがあるならついてほしい。
「これ以上はちょっとまずいかも」
と思うくらいまで傷つくと攻撃の手が緩むのは経験で知っている。
「それなら」と思ったこともあるけれど、既にしっかり傷ついている時に、悲しんでいるふりや傷ついているふりなんてできない。
そんな余裕ない。
結局、相手の気が済む最後の一滴まで攻撃を受けきらないと終わらない。
限られた気の合う人とただ楽しく過ごせればそれでいい。
でもそれすら嫉妬を呼ぶことがある。
たとえば気の合う相手が同性ではなくて異性だったような場合。
ただ気の合う人が現れてくれて嬉しいだけなのに。
べつに身体の関係とか求めてないのに。
「またまた~」
みたいなことを言われる。
だってそれをしてしまったら、関係の形が変わってしまう。
せっかく出会えた数少ない気の合う人がいなくなってしまう。
だから大切にしたい。
そっとしておいてほしい。
でも、そうはさせてくれない。
これも慣れない。
でも手放さないといつまでも終わらないから。
自分の中で、気の合う人がいてくれるという喜びと、攻撃される苦痛を何度も何度も天秤にかける作業が始まる。
悔しいし、腹も立つ。
「……今回くらい戦ってみるか」
と、思うこともあるけれど、自分がしてきたような嫌な思いは誰にもさせたくない。
たとえそれがこちらに敵意を持っている相手だとしても。
なら、そういうのももうまるっといらないから、ただ、心穏やかでいたい。
気の合う人ももう探さないから、
ひとりでいるから、
そっとしておいてほしい。
おわりに
2022年にちゃんとしたうつ病をやりましたが、それとは別で、こういうタイプの経験を何度かしてきました。
私はこのブログで、ネガティブは腸の不具合を知らせるサイン!ということをずっと言っていますが、これは腸内環境も関係ない「外からやって来る」話。
私がまだ解決できていない、私の世界の大きな謎。
ただ、やっぱりこういうことが起こった時に腸内環境が乱れているとすぐにメンタルパワーが枯渇して死ぬので、それを体感で知っている私としては、常に腸のコンディションを見張っておくことはけっこう重要なことなのです。
似たような体験をお持ちのHSPや繊細さんの方は、ほんと、腸のコンディションを気にしてほしいなって思います。
以上です。
最後までお読み下さりありがとうございました。