聞こえてから公開するまで1ヶ月くらい迷っていました。それでは聞いて下さい、「執着の外し方」
執着の外し方
あなたはよく、この夢の世界を見る主体から、夢の中の登場人物になってしまっていることがあります。
その時、あなたはあなたではない。
あなたがあなたを忘れるとき、あなたは必ずこの夢の世界の形象に仮初の実在性を付与してそれに執着している。
執着とは「それがなければ自分がなくなる」という幻想。
それにより、あなたはこの夢の性質に調和した支離滅裂な夢の登場人物になっている。
その視点から見る世界はまさに嵐や荒波のよう。
それは平穏のない、支離滅裂で理不尽なことに満ちていて、そこで起こるイベントは、目をつぶって歯を食いしばって丸呑みするような、核心から目を背けるような好意的解釈以外でやり過ごすことができないおかしなものばかり。
好意が次の瞬間には敵意に転じたり
善いものが次の瞬間には悪に転じたり
大切なものが次の瞬間には失われたり
綺麗なものが次の瞬間には醜くなったり
時間への信念の度合いで、早かったり遅かったりすることもあるけれど、これがこの世界の揺るぎない実態。
さらに、この肉体が感知するものすら安定しません。
眼で見たものも、耳に聞こえた音も、鼻に届いた香りも、舌で感じた味も、身で触れた感じも。
思考や心(意識)に至ってはほとんど日替わり。
いつも同じで安定している、と補正をかけているだけで。
流れ行く川の水の一点に、いつまでもそこに留まってほしいと願うようなもの。
留まっている!変わっていない!と言い聞かせながらそれを見つめるのは虚しく苦しい。
それでも川は流れていく。
なんで流れていくんだ……
どうして留まってくれないんだ……
なんでこんなにも支離滅裂なんだ……
と嘆いて傷つくようなことを繰り返してきたけれど、それは、そもそもが流れ行くもの。支離滅裂なもの。
絶対に安定や永遠にはなり得ないもの。
つまり、そのような次の瞬間には姿形を変えるようなものから救われる方法は、次の瞬間には姿形を変えるものしかない世界からは生じ得ない。
同じレベルにはない。
探しても見つかるはずがない。
そんな永遠なるものなどないことだけが終始一貫しているこの夢の世界で永遠を探し求めるからしんどいことになります。
だってないから。
善いも悪いもない。
ただ、そういう性質のもの。
この世界のもつ揺るぎないその特性がわかれば、執着する理由が薄れる。
執着する理由が薄れれば、恐怖は薄れる。
執着と失う恐怖は同じレベルにあり、必ず同時発生している。
執着は生じた瞬間、それをもつ自分と、それを失う自分にあなたを分かつ。
すべてである存在がある一点だけに執着することは、分離の肯定、即ちすべてであることの否定であり、自分への攻撃となる。
偶像崇拝が天国を遠ざける理由もここにある。
執着を手放すとき、あなたは自分、すなわち世界を赦していることになる。
ありのままを赦す。
そういう性質のものに、執着による術をかけて、性質とは異なった永遠っぽい振る舞いを求めることをやめる。
その、確実に裏切られ、あなたを傷つけることになる要求を手放す。
流れ行く川の水に流れ行くことを赦す。
それは本来そういう性質のものだから。
つまりこれはほかでもなく、流れ行く川の水に流れず永遠にそこに留まっていてほしいと願っていた自分を手放す(赦す)こと。
このようにして、夢を見る主体であるあなたから信念を取り下げられるとわかるやいなや、この世界は暴れ出す。
葛藤、恐れが様々な形となって顕れるから。
禍事がそれまででは考えられないくらいの速いテンポで、コロコロと形を変えて、次から次へと現れるようになる。
それはまるで断末魔のようで、再び執着を生じさせ、この夢の世界に留めようとしているように見える。
降魔成道は後世の信者が盛りに盛ったおとぎ話ではない。
まずは肉体の快楽に関連する誘惑(性、食、承認欲求の満足など)がくる。
それにも執着をしないでいると、次は露骨な攻撃がくる。
驚かせたり
怖がらせたり
悲しませたり
傷つけたり
怒らせたり
そういったイベントが急に相次ぐ。
俯瞰すると、それはもう、
はい!はーい!私は支離滅裂な夢幻でーす!
と自分から暴いているようにしか見えない。
もっと静かにさりげなく来ればまた騙されていたかも知れないのに、なぜか世界はわちゃわちゃとそのようなことをする。
別れの気配を感じるやいなや、引き留めようとして本性をさらけ出して暴れる恋人のよう。
ただ、それは見ず知らずのものではない。
そこには必ずあなたの刻印がある。それを見落とさないように、形象に執着することなく自分を赦しなさい。
こうなるともう、夢の終わりは近い。
選択がシンプルになるから。
穏やかでいるか、いないか。
あなたでいるか、あなたを見失うか。
そのどちらにも、この世界の有象無象は関係ないことがわかるから。
ずっとそこにあると信じてきた、穏やかでいること、あなたがあなたでいることの「条件」はそこにはなかった。
そもそもが関係なかった。
この世界の究極の目的である死さえも天国と関係なかったのだから、そのために作られているこの世界は天国と関係ない。
関係あるのはあなたの在り方だけ。
いつ始まっていつ終わるのかもわからない神の計画も、魂の成長もない。あなたにはもう見えるはず。そこにははっきりと「支離滅裂の世界からあなたを逃さないために来ました」と札が貼ってある。
「それ」はあなたのものではない。
この顛倒夢想の世界の素粒子ひとつすらあなたのものではない。
永遠の属性をもつあなたに、そんな次の瞬間変化しまうような不安定なものは相応しくありません。
あなたは忘れているけれど、天国は永遠だし、天国はまさにあなただったから、あなたは永遠。
あなたは永遠たる天国の光の光源とひとつだから。境目はない。
だから、この夢の世界で永遠を求めるなら、あなたに求める以外に確かなレスポンスは絶対に得られない。
あなたはあなたであることから永遠に逃れられない。それはちょうど、私たちが天国から脱する術がないのと同じ。
天国ではない世界という夢を見るという方法以外では。
永遠に天国にいながら天国に帰ることはできないけれど、夢から覚めれば天国は永遠にそこにあったことに気づく。
これは、今、天国を忘れるほどこの夢の世界という毒に侵されたあなたの解毒法。
あなたが執着を手放し、本来のあなたを思い出す。
執着を手放せば、恐怖がなくなる。
恐怖がなくなれば顛倒した夢想を生じることもなくなるから、この顛倒夢想の世界であなたはあなたでいられる。
顛倒夢想の世界の住人でいられるのは顛倒した夢想を抱く者だけ。
一方が消え去れば一方が顕れる。
そのくらい明らかにあなたは天国を見る。
あなたはそもそもが美しいけれど、それを頑なに認めようとしない、神を否定するような傲慢さで天国を否定し、美しさとは顛倒した今の世界を見ています。
あなたの自己否定で無数に派生した顛倒した夢想(幻想)と、あなたを連結させるなら、あなたは必ず否定される。
善いも悪いもなく、それはそういう性質のものだから、当然の帰結。
毒を飲んだらなぜか苦しくなった。
いや、それは毒が毒としての働きをしただけ。
泥沼の中に咲く一輪の蓮の花のようにあれ。
そもそもが美しいあなたは、美しくなることはできない。
ご自身が美しいことを思い出していくだけです。
美しい世界を見たいという悲願を抱く、すべての美しさの源よ、どうかご自身を思い出して下さい。
ない美しさを求めるのではなく、足りない美しさを補填するのでもなく、美しく在りなさい。