中村篤史院長(ナカムラクリニック)の記事「ワクチンで死ぬ子供たち」がnoteから削除されてしまいました。ただし!ステキな有志の方が別の場所に保存してくださっていたようですので、そちらから引用したいと思います。
親の善意で打ったワクチンで死ぬ子供たち
診察に来た高校生とちょっと話しただけで、ワクチンで死んだ生徒の話がポンポン出てくる。各私立高校で1,2人の死者が出ているとすれば、全国的には相当数の高校生が死んでいると思われる。
あのワクチンを大事な我が子に打たせるということは、まず、コロナ脳の親に違いない。単純にテレビの言うことを信じていてワクチンの危険性をまったく知らなかったか、あるいは危険性について多少風のうわさで聞いていても、「打つリスクと打たないリスク」を天秤にかけ、打つことに決めたか。
いずれにせよ、親は善意である。つまり、よかれと思ってワクチンを打った。結果、我が子を失った。(「ワクチンで死ぬ子供たち」より引用)
親は善意である。
つまり、よかれと思ってワクチンを打った。
結果、我が子を失った。
ここ、何回も読んでしまいました。
悲しすぎます。
なんという悲劇でしょうか。
我が子を思う気持ちが我が子を死なせた。
この親御さん、もう今後の人生で善意を行使できない。
愛情表現に恐怖がつきまとう世界なんて暗黒だ。
いったい誰がこのような最低最悪のシナリオを考えたのでしょうか。
製薬会社
医者
御用学者
政治家
マスコミ
でも、怒りは懐きません。
「許さない」とも思いません。
なぜならそれらは彼らに実在性を持たせるから。
彼らに「次」の顕現の機会を与えてしまうから。
自分の中に彼らへの盲信があったことを認め、それを取り払う時です。
人のことを肩書だけで「先生」なんて呼んでヘコヘコしてはいけなかったのです。
いつも流れで「先生」と呼んでいる人のこと、一回見直したほうがいいです。
とくにお父さんお母さん。
今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。